第三百七十五話
「孫権の機嫌が良くなってよかった」
関羽は揚州へ帰ってきた時の孫権の様子を思い出してブルリッと震えた。
それはもう一里先からもわかるほどのどす黒いオーラを放っていた。
もちろん袁術に会えないことが一番の要因であるのだが、他にも孫権を苦しめる要因があった。
取り込んだ揚州豪族達である。
会う度に謙りながらも一族の男を紹介して結婚を勧められたり、賄賂を渡されたり、セクハラ発言も多く、書類仕事の日々とはまた違った意味でストレスが溜まる日々だ。
ちなみにセクハラ発言どころか、胸や尻を触るというガチセクハラを試みる猛者もいた。――いたが、腕が花が散る時の椿のように落ちることになって噂が広まり、そのような暴挙を行う者は減った。……減っただけで完璧には居なくならないあたり情報伝達の未熟さがよく分かる事象である。そもそも反乱分子かどうか判別出来ないグレーを処断してまわった孫権に対してセクハラするということもその情報伝達の未熟さと言えるだろう。
そんなこんなで敵ではないが心情的に味方でもない味方という斬って捨ててしまいたいほど面倒な存在のせいで孫権は精神面的に疲労して……闇に堕ちかけていた。
「近寄りづらかった……が、奴らはなぜ平気だったんだろうか」
そう、問題は物質化しそうなほどの闇のオーラを放っていたにもかかわらず、そのストレスを与え続けている敵ではなく味方でもない味方達はそれに気づきもしないのである。もちろん全員というわけではないが、それでもかなりの数がいてストレスを平気な顔で与え続けていたのだ。
無能とはある種の無敵である。
「~♪~♪」
そんな孫権も今では鼻歌を奏でるぐらい上機嫌である。
時折、チラチラとある方向に視線を向け、顔を赤らめるが、それ以外は至って平常だ。そして関羽はその様子を見てなんとも言えない笑みを浮かべる。
(なにはともあれ、本当によかった。それにまだ切り札があるしな)
実は袁術から渡された贈り物を全て孫権に渡したわけではなかった。
一気に渡してしまえば嬉しさは一度のみで、しかも量が多くても効果時間は変わりない。なら一度に渡してしまわず、回数を分けることで少しでも平和な時が伸びるように使うべきだと関羽は判断したのだ。
(……後で出し惜しみしたことを知られた時が怖いが、理解してくれる……と信じよう)
「そういえば関羽将軍」
「――なんだ?」
そんなことを考えていた関羽は急に孫権に呼びかけられ、返事をする声が若干裏返ってしまったが、孫権はそれに気づいていないようで心の中で安堵する。
「どうも劉備達の動きがあったらしいのよ」
「ほう。何処情報だ」
影達から渡される情報は関羽と孫権では差がない。そして関羽が知らないということは孫権だけの情報網ということになる。
「自称忠義の臣からのものよ。名前は……誰だったかしら?」
「……名前ぐらいは覚えておかないと不便だろ」
「今回の情報が正しければ、ね。それで動きがあったのがどうも今回の叛乱を起こした豪族達のいる地域らしいのよ」
「それは……今回の叛乱は劉備殿達が起こしたものだと?」
「それにしては劉備達は利を得られていないのよ?叛乱を扇動なんて手間を考えると微妙だと思うのよね」
「なるほど、つまり確証を得られるために調べたいと」
「ええ。お嬢様達は手一杯でしょうから私達が動くべきだと思って」
「異論はありません」
仕事は少し楽になったのを帰った時に実感したが、楽になったとは言ってもまだまだまだまだまだまだ標準的な仕事とは程遠いのが現実だ。不確定な情報で手間を掛けさせるのは関羽にとっても本意ではない。
「では、こちらで手配をするのでその情報提供者に聴取させてもらえるか」
「もちろん」