第三百八十話
「やっほ~凪ちゃ……ん……す、すごい隈なの」
「ほんまやな。これが世に言う文官の勲章ってやつやな」
「……二人は元気そうだな」
寝不足、などという領域を大きく上回り、死相にすら見えるそれを浮かべる楽進を見て顔を引き攣らせて迎える李典と于禁。
それに比べ、二人は本当に元気そうに楽進には見えた。
もちろん、李典も于禁も袁術の配下として多忙の日々を送っているのは間違いない。だが、ただし彼女らの役割はクリエイターであることから寝不足やストレスなどは仕事の効率を落とすということで緊急時(袁術の思いつきも含む)以外は基本的にホワイト業態である。
そんな様子に目の当たりにしてあまり嫉妬など抱かない楽進が二人に対してもやもやしてしまうのも仕方ないことだろう。
今日は久しぶりに三人が揃って非番が取れたのでこうして会うことができた。
もっとも楽進の本音としては寝たい、休みたい、仕事しなくちゃ(洗脳され始めている)で支配されていたが、親友の誘いを無碍に出来なかった。
「ごめんな~。凪でもそんな風になるとは思わんかったねん」
書類仕事が得意ではないことは知っていても楽進の努力と根性と体力があれば、効率が悪くても大丈夫だろうと考えていたが現実は違っていた。
慣れない仕事(特に雲の上の人達に対するツッコミ役)に精神が摩耗し、ずっと同じ型を繰り返している歪な訓練のような書類仕事で特定部位にだけ溜まり続ける疲労。更に時々冷静になってこの手元にある書類一つで数千、数万、数十万の民の命を左右するのだという現実感のない現実が更に精神を疲弊させた。
警邏隊も治安を維持して民の安全を守る立派な仕事である。しかし、その仕事のほとんどは問題が起こったら解決するというもので目に見える範囲の民の人生しか背負っていなかった。それがいきなり文字通り桁違いな民の人生を左右するのは真面目な楽進にとっては重い負担となった。
軍であれば、自身と同じように戦う覚悟が出来ている袁術軍を率いることに抵抗はないのだが。(これが戦いの覚悟があっても兵士とは言えないような劉備軍ならまた別だろうが)
「私は……戦争は上の人間が私利私欲のためにしていると思っていた」
その言葉は民の大体が思っていることであり、事実の一つでもある。
「だけど……本当はあんな途方もない仕事をやり続けることが面倒になって力で解決しようとしたんじゃないか……って」
楽進の言葉はある意味、間違いではない。
話し合いで解決するというのは難しい。己の利、敵の利、国の利、民の利を背負っているのだから力があるのに力を示さずに話し合いで解決などよほどのことがないと成立しない。
そんな面倒が嫌だから戦争をする。
ある意味では正しい。
だが、楽進が言っている『書類仕事がしんどいから戦争で解決しよう』というのは間違いなく袁術の政権ぐらいだろう。
そして楽進は知らない……書類が嫌だから戦争?戦争が終結した後、戦後処理という史上最悪の仕事が待ち受けていることを。
「凪ちゃんは戦っているんだね」
「戦い……ああ、間違いない。あれは戦争だ。じゃないと――」
あんな狂気を平然としていられるわけがない、と心中で付け加える。さすがに口にするのは憚られた。
「じゃあ、ちゃんと休みの日は休まなあかんな。せや、温泉にでも行こうか!それなら疲れも取れるで!」
「温泉か……確か最近開業した温泉宿があったな」
「お、あそこのことを知ってるんか?」
「ああ、あの温泉宿を開くにあたって区画整理をすることになったが、それは私が手配したからな」
「お、おぉ。本当に凪は大きな仕事をしとるんやな」
「これは小さい方なんだが……」
「ええ?!な、なら大きな仕事ってどんななの?」
「それはさすがに機密で話せないな」
「むぅ、残念なのぉ」
「本当に大変そうやなぁ」
李典も社会を支えるカラクリの開発を受け持つが、やっていることそのものは自身の趣味の延長であるためにそれに重さを感じない。
だが、明らかに楽進の持つ重さは自身が背負っているそれより重いのだと感じるのだった。