第四十一話
<孫策>
「冥琳……さすがにそれは考え過ぎじゃないかしら?」
「しかしだな。孫堅殿に無利子無担保であれほどの金額を貸すというのはいくら富んでいると言っても不自然過ぎる。更には商会の進出、安定してきた孫堅殿の暗殺、私達の高待遇、雪蓮の独断専行の処罰の軽さ、今回の袁家の揚州牧就任、これらを合わせると——」
「袁術……いや、魯粛殿が揚州を奪うために堅殿を支援し、安定したところで暗殺し、儂らを迎え入れることで揚州を手に入れる口実とした、と?」
「ええ、そうでないと不自然なところが多く見られる」
言われてみれば私達の給金の額は明らかにおかしいわよね。
借金という弱みがあるんだから安い給金で使い潰せば、そこまででなくても普通の額でいい。
それに袁術ちゃんの都合がいいように動いていることも事実だし……でも私の勘はそうは言っていない。
でも母さんが頑張っていた地を取られたのは釈然としない。
何より……母様を殺したのが袁術ちゃん……いえ、魯粛ならありえなくはない。
善政を敷いているからと言って本人が善良であるとは限らない。
「しかし元々袁術に近寄っていったのは堅殿からの方じゃぞ。それに袁術も堅殿に懐いておった。儂はそれを疑いたくはない」
「私も袁術がそのようなことをするとは疑っていない。あれは無邪気に悪戯はするだろうし、蜂蜜濡れにされるかもしれぬが悪ではない。だから疑うべきは——」
「全ての権限を持つ魯粛ってことね」
「その通りだ。それに張勲ほどではないが魯粛殿も袁術に傾倒している。袁術のためなら手を汚すのも厭わんだろう」
政治家というのは裏と表を使い分けるものだけど……魯粛はそんな感じじゃないと思うんだけど。
「魯粛殿は元々商人の出、利を追求するに長けている上に政治家と違う誇りや礼節を持っている」
もし、母さんを殺したのが魯粛だったら——殺スベキヨネ。
「…………雪蓮、気持ちはわかるが落ち着け。例え相手が仇であっても甚だ遺憾だが今は動けん。証拠も無ければ、名声、権力、立ち位置全てが我々が劣っている」
…………わかってるわよ。
真実はどうであれ、袁術ちゃんが母さんを失った私達を受け入れてくれたのも事実だもの。
(ぬう、しかし堅殿が真名を託した相手を疑うのは……いや、この場合魯粛だから別の話なのかのぉ)
「ただ、古参の者は移り変わりは世の常とわかっているからいいとして、私達若い世代の者の中にはやはり揚州を奪われたという意識が強く、不満に思っている……雪蓮のように、な」
「うぐっ」
だって母さんがあれだけ苦労してたのよ?それを掻っ攫われたらむかつくじゃない。
「ところでこの話し合いに権殿を呼ばなくてよかったんじゃろうか」
「蓮華様は袁術や魯粛に近すぎる。このような話を聞かせると察知されるかもしれない」
……そうね。蓮華が知ったら怒るでしょうけど、ここで教えるわけにはいかないわね。
黄巾祭りじゃー。
あっちこっちで本格的に黄巾賊が活発化し始めたのじゃ。
しかし、河北や中原は知っておったが、益州や揚州まで黄巾賊が現れるのは意外じゃった。
統制が取れておる黄巾賊は冀州、青州、南荊州、揚州の四箇所じゃな。他のところは大体賊が大規模化しておるだけで鎮圧に時間は掛からぬ……はずなんじゃが、揚州は袁遺が就任してから間がなく、使える手勢が吾が貸し与えた三千しかおらんという有様じゃ。
豪族達も強力な後ろ盾を持つ袁遺を嫌い、非協力的じゃし……幸い南陽は平和そのものじゃから追加派兵も検討しておるところじゃ。
揚州の黄巾賊は一番大きい勢力である五万と少数勢力である数百が十ほどうろうろしておる感じじゃから一万ぐらい派兵すればなんとかできると思うんじゃが……問題は一万もの兵を動かすには朝廷の指示を仰がねばならんことじゃ。
朝廷、いや、宦官達は地方が兵という武力を集めることを嫌う。
そりゃそうじゃよな。文官にとって一番最悪なのは権力も通じず、話も聞かぬ野蛮人なのじゃから。
だから太守としては好感度トップであろう吾が宦官達に打診してもなかなか頷かぬのじゃ。
「まぁ官軍を動かすことには成功したのは良かった……んじゃろうかのぉ」
「身体が強靭でも脳が腐っていては勝てません」
と、紀霊さんが言っておる通り、官軍を率いておる将が腐っておるんじゃよ。
端的に言えば宦官達の子飼いなわけじゃ。
朱儁ばあちゃんか皇甫嵩じいちゃんなら良かったのじゃが……まぁ一番大事である洛陽を守るのに使うあたり宦官達の自己防衛の強さが伺えるのぉ。あ、ついでに面識がない盧植先生は河南省自体の治安維持に勤めておるようじゃ。
「しかし……よりにもよってなぜ四方に軍を分けるのか」
そう、官軍は四方に軍を分けておる。
これが十万ずつぐらいなら問題ないのじゃが、一つの軍は一万〜二万程度と黄巾賊に劣る数しかおらんのが問題じゃ。
「唯一の救いは切り札である禁軍ではないことでしょう」
今回の官軍はあくまで中央が集めた正式の軍という意味である官軍で中央が抱える常備兵で構成されておるエリート軍団、禁軍ではない。
ちなみに禁軍の強さは吾の軍とそう変わらぬ程度らしいぞ……エリート?
「しかしじゃな、このままでは揚州が荒れてしまうぞ。やはり何か手を打たねばなるまい」
「では関羽と郭嘉を送ればよろしいかと。幸い私達は商会という隠れ蓑があります。交易路を使えば兵士を送るのも問題ないと思われます」
ふむ、船か……船ならば一万は無理でも五千程度は隠れて送れるか、関羽と郭嘉ならば上手く隠れて楽進達と内密に連携することも可能かもしれぬの。
「私は孫策さん達を送ろうと思います」
「む、孫策達を揚州へ?虎を野に放つだけではないかや?」
さすがに魯粛の意見とはいえ、この進言は鵜呑みにできんぞ。
孫策達が袁遺の揚州牧を快く思っておらんのはわかっておるはずじゃろ。
「不満に思っていても馬鹿ではありません。未熟ゆえの不満、ならば成熟させてあげれば不満も消えはしないでしょうが軽くはすることが可能かと」
むう、しかし……原作を知る吾にとっては是としにくい。
原作の袁術とは違い善政を敷いておるから大義が立たぬのじゃから大丈夫だとは思うが……ぬぅ、原作を知るゆえの辛さじゃのぉ。
「それに孫策さん達が独立できるほどの力があるわけでもありません。何より故郷でもあるのですから止める苦労を考えますと……」
……うむ、想像しただけで止めるにはちょっと骨が折れることが容易にわかるの。
「では孫策達を向かわせるとするかのぉ。気が進まぬが……」
「それでしたら褒美として何処かの県令にでも任命することを褒美としますか?」
「駄目じゃ!」
せっかく周瑜のおかげで仕事が減っておるのに他所に送ってはまた仕事が増えるのじゃ!
「しかし今のような待遇が続けば冷遇しているとも取れなくはありませんから褒美ではなくても何か将来を見い出せるものを用意しては如何かと」
「……ふむ、考えておく」