第四十七話
大変じゃ大変じゃ大変なのじゃー!
なんと討伐軍と潁川の波才が対峙した頃合いを見計らって南陽に黄巾賊が攻め寄せてきたのじゃ!
三万六千もの兵士を送り出しておるため物資……は有り余っておる。
兵数が……常備兵がおるから大丈夫。
将が……紀霊、魯粛、郭嘉、甘寧、孫権、おまけに七乃と吾、更におまけの張曼成、枠外の李典に于禁がおる。
ならば何が大変なのか?……また仕事が増えるのじゃ!
これがいつもと違うんじゃよ。今回攻めてきた黄巾賊は涼州と豫州から攻めてきたのじゃ。つまり挟み撃ちになったわけじゃ。
となるとどうなるのか、両方に対処するために軍を分ける必要がある。
察しが良い奴ならばこれで気づくじゃろう……そう、二つの軍を用意するということは将も二人以上いるということじゃ。
しかも現在侵攻中の黄巾賊は八千と七千、すぐ対応できる軍は常備兵である八千であり、四千ずつに分けると寡兵となってしまうため、紀霊と郭嘉とその護衛の張曼成、魯粛と甘寧という感じで将の質で補うのじゃ。
そして、南陽に残ったのは吾、七乃、孫権、于禁、李典……わかるか?デスクワークができる者が吾と七乃と孫権しかおらんのじゃよ!!
いい加減仕事が増えて、魯粛、程立、郭嘉、周瑜という主軸となる者達が全員留守とか吾等に死ねと言っておるんじゃろうか?やはり魯粛達の反対を押し切ってでも吾が黄巾退治に出ればよかった。
「…………」
「…………」
吾と七乃はいつもと打って変わってろくに喋りもせず、黙々と敵(書類)と戦い続けておる。
最短でも三日間は二人で仕事を熟さねばならぬ現状で喋るという無駄な行為は命取りじゃ。
必要最低限の動作で、必要最低限の思考で、必要最低限の労力で仕事を熟さねば、最重要書類すらも終わらすことができぬ。
おかげで紀霊や魯粛達の軍がどうしておるのか、潁川がどうなっておるのか、揚州がどうなっておるのか、中央や華琳ちゃんの動向などの把握ができずにおる……致命的な何かが無ければよいが。
食事も書類片手に行い、風呂は……諦めた。
トイレ?そこに壺があるぞ……七乃の視線が気になったので衝立は用意したのじゃ。
睡眠?一番最初に諦めたぞ。
蜂蜜?合間合間に採っておるぞ。これがなければ思考が定まらぬし、カロリー的にも助かっておる。
吾は思う、某踊る警察ドラマで事件は会議室ではなく、現場で起きていると言っておったが、戦争は現場ではなく、執務室で起こっておるぞ。
いや、殺人的忙しさじゃからもしかすると事件も執務室で起こっておるかもしれぬな。
それにしても道路拡張の決済書なぞ今やらんでも……ああ、日付が一ヶ月前になっておるから仕方ないか……影達の給与支払報告書か……とりあえず今、吾と頑張ってくれておる者達は来月は特別手当として給与五ヶ月分とする。戦友は大事にせねばな。
確か七回ほど日が沈んだと思うのじゃが魯粛も紀霊も帰って来ぬ。
それほど苦戦する相手なのじゃろうか?まさか仕事が嫌で帰って来ぬだけでは……いかんな、疲労の蓄積で考えが後ろ向きになっておるようじゃ。
しかし両軍に予備兵を三千ずつ送った後は援軍要請も来ておらぬし、苦戦しておるわけではないはずじゃが……報告書を探してみるかの。
ちなみにそのような余裕があるのは……もう破綻しておるからじゃ。
実は昨日、七乃が倒れたのじゃ。
まぁ七日連続徹夜&ほぼ休憩なしの仕事漬けではそうなるのも当然じゃな。今頃寝床でぐっすり眠っておろう。
吾も同じ量の仕事をしておったが、どうやらトレーニングのおかげで七乃より体力が付いたようじゃな。このような形で立証はしとうなかったがな。
お、あったのじゃ、なになに……むぅ、黄巾賊の武装が本格的なものが多いとな。確か涼州は情報網が薄いゆえ何処かの城……いや、郡が落とされたとしてもわからぬから可能性としてはあるが、豫州は情報網……というより本家からの報告では郡どころか城すらも落ちたというものはなかったはずじゃ。
そしてしっかり守り迂闊に攻撃を仕掛ければ負けはせぬが被害も大きくなると書かれておる。
一体どういうことじゃ?
もしや裏で誰かが動いておるのか?吾の足を引っ張りたいというならこれ以上にない妨害じゃが……まず考えられるのは劉表のくそじじぃなのじゃがあやつが黄巾賊に手を貸す?ありえんじゃろ。
商会券の存在を知り、その発想に危険視した華琳ちゃんが……なんてありえぬか、華琳ちゃんはそんなせこいことせんな。主要な軍師がまだおらぬ以上可能性は低かろう。
そして本命の中央、宦官達……まぁ十中八九こやつらじゃな。
貢ぎまくっておるがそれ以上の消費もさせていることもあって金蔓のように見える底なし沼にハマっておる状態じゃからの。面白くないという気持ちはわからんでもない。
最近宦官共がけち臭くなっておるあたりやり過ぎたかもしれぬ。奴らは中世の貴族と同様に見栄だけは張るので基本は太っ腹じゃ。
その奴らがけち臭くなる……巻き上げすぎたかのぉ。
ひょっとすると侵攻しておる黄巾賊はひょっとすると黄巾賊ではない可能性もあるの。さすがにそこまで愚かではないと思うが……宦官達はたまに本当に愚かなことをするからのぉ。
とりあえず、ご機嫌取りにいくらか宦官達に貢いでおくか。もしかするとそれでいなくなるかも知れぬし。
「……ん?……む、蜂蜜が無くなっておるではないか、しかもこれが最後の予備か」
仕方ない、取りに行くか……使用人まで導入してこのざま、もう少し考えて運営せねばならんな。
郭嘉も程立も客将なんじゃし。
<孫権>
……私の命日は近いわね。
もう三日もろくに寝てない。
辞めたい、でも孫家再興が……借金が……死んだ方が楽、かもしれないわね。
姉様から来た書簡には酒がない、暇すぎて死にそう、と書かれてたけど……殺意が湧いたのは仕方ないと思う。
今ならわかる。お嬢様が姉様を推薦するのに付けた条件は本当に真っ当なものだった。
暇すぎて死にそう?なら代わってあげましょうか……と嫌味を書いては書き直しを三回繰り返したのは内緒ね。
ああ、せめて冥琳がいてくれたら……姉様はいらないわね。
「……あそこにいるのは……お嬢様?」
もう真夜中、この時間にお嬢様が一体何を……仕事……そんなわけないわね。厠……は反対方向、どうしたのかしら。
「……」
少しだけ悪戯心が湧いた。
姉様のようにお嬢様のような子供が太守なんてするべきではない、とは思わない。仕事をしていて思う。
無能でもなんでも民が幸せで、混乱が起きないならそれでいい。そして今の南陽は間違いなく大陸一平和な場所よ。
つまり、太守が無能でも周りが支えられるならそれでいい……だってお嬢様よりはできることが多い私達が州牧どころか太守、県令にすらなれず叩きだされた。
結局は一人二人程度の力では成せることは小さい。
魯粛様がいくら有能とは言っても魯粛様だけで動いているわけではない。紀霊様や張勲、郭嘉や程立などが居てこそ成り立っている。
……でも、今、この忙しい時にのんびりしているお嬢様に少しだけ、苛ついてしまった。
だからほんの少しだけ悪戯を仕掛けようと思う。
こんな深夜に後ろから突然声を掛けられたら驚くでしょうね。これぐらいなら許されるはず。
こっそり尾行して……?……おかしいわね。お嬢様の部屋はここよ。なのに通り過ぎた?
…………隣の部屋に入った……ここは確か入室が禁止されている部屋だったわね。
いつもは見張りがいるのに今日はいない……お嬢様に関連する部屋なのかしら。
時を逸した……どうしようか、って灯りがついた。ということは寝室ではないわね。
どうしようかしら……
…………
………
……
…
好奇心に負け、扉をそっと開けてみる。
そこに見えたのは……書簡の山、山、山……それは私の部屋に作られたそれよりも遥かに高く積み上げられ、数も多い。
資料室か何かかしら、でもそれならなぜお嬢様が?
かたかた、と竹簡を動かす音が聞こえる。この書簡の山の向こう側からね。
部屋へ入り、山を迂回する。
そこで見た光景は……お嬢様が……お嬢様が……目を腫らせ、いつもより半分ほどしか開かず、隈を作り、髪もぼさぼさ、服もいつものように動きにくそうな着物ではなく、簡易な服装で、書簡を難しい顔でみていた。
その書簡には南陽の人口の増減や次の税収予想、前年との比較などの情報が書かれていた。
「むぅ、やはり人口の増加は止まらぬか。このままでは失業者増加で治安が悪化してしまうぞ。新たに仕事を構えねばならんが……さて、どうしたものか……ふむ、今を凌げばしばしの平和になるはずじゃから……築城でもするかの」
……何を言っているの。
お嬢様は私に気づいた様子もなく、真新しい書簡に次々と書き込んでいく。
その手つきは、私よりもずっと、それこそ魯粛様のような鮮やかで場数を示す強さを感じる動きをしている。
「何を……しているんですか、お嬢様」