第四十九話
「あぁ……そろそろ限界やもしれぬ」
「お嬢様!しっかり!」
徹夜十日目、さすがにエリクサーである蜂蜜があっても限界じゃ。
昨日、七乃が復帰したが、その代わりに孫権が倒れた。
なぜ一番体力が無さそうな吾が最後まで戦線を維持せねばならんのじゃ……ああ、最高責任者じゃからか。
七乃に孫権が吾のことがバレたと伝えたのじゃが、まぁわかっておったが返って来た言葉は——
「始末しましょう。お嬢様は座っていてください。全て万事私にお任せを!」
と、無駄に気合を入れて突撃しそうなのをなんとか抑えたんじゃが……いい加減寝不足で疲れておるのに無駄な体力を使わせんで欲しいぞ。
まぁ、七乃もまだ寝不足で反射的に言っておるだけじゃろうが……いや、寝不足だからこその本音かもしれぬか?いや、間違いなく本音か。
ハァ……鬱じゃ、地獄じゃ。
日が昇ればその光で目が痛み、それを防ぐために目を閉じれば眠気に襲われ、日が沈めば静寂と心地良い闇が吾を誘惑……
………………
……………
…………
………
……
…
ハッ?!意識が飛んでおった。
「これにはあまり手を出したくなかったが……」
取り出したるは楽進の大好物、辛子。
それを手一杯に掴み…………意を決して、口へ放り込む。
「くぁwせdrftgyふじこlp?!」
にゃーーーーーー?!口が?!鼻が?!涙が〜〜?!
こ、これは仕事にならぬ……が、今こそ男の娘の根性の見せ所じゃ!
「袁術様、ただい——」
魯粛の声が聞こえた瞬間に意識を失ったのじゃ。
目覚めたら四日後じゃった。
……辛子の辛味なんぞ十日連続徹夜の前にはほとんど効果はなかったようじゃな。痛い思いして損した気分じゃ。
寝ておった四日間、食事は口元に蜂蜜を運ぶと勝手に食べておったらしいし、トイレにも寝ぼけながらも行っておったらしい……全然記憶にないのぉ。
起きてまずしたことは風呂じゃな。
デスマーチ中に烏の行水程度には流しておったのじゃが、さすがにもう限界じゃったからの。
本来なら七乃が勝手に洗ってくれそうなものであるが吾が本能的に拒んだらしいのじゃ。貞操の危機を感じ取ったのじゃろう。
うむ、よくやったぞ。吾の本能よ。
「それで孫権さんの扱いはどうなさいます?連日の徹夜続きであったことを考えれば正しい判断だったかは疑問ですし、今からでも対処いたしますか」
「いや、あの実直さは信用できる。このままでよい……と言うかそろそろ幹部を増やさねばならぬじゃろ。今回のようなことが度々あっては南陽が破綻してしまう」
今回はなんとか凌げたがこんなことは二度とごめんじゃ。
魯粛と甘寧が帰って来てくれたおかげで完璧な破綻にならずぬ済んだが……民に少しばかり不自由させてしまったのぉ……まぁそれ以上に官僚達の屍が出来たがの。
郭嘉や程立を正規雇用できれば問題は解決するんじゃが……多分無理じゃろうな。正直に言うと吾は二人の理想とする君主とはかけ離れておるはずじゃからの。
「ということで孫権にはこのまま吾付きの侍女兼七乃の補佐を努めてもらうぞ」
「御意……それと孫権さん」
「は、はい」
「独立を目指すのも結構ですが……袁術様を裏切るようなことがあれば袁術様が許しても私が許しませんからね。地獄とは死後ではなく、生きている内にあることをお忘れなきように」
「……」(孫権は激しく頷いている)
なにか魯粛が孫権に囁いた瞬間に顔が真っ青になって首が取れそうなほど頷いておるが何を言ったんじゃろ?
ともかくこれで生け贄……ゴホン、デスマーチ仲間が増えたのじゃ。
「ところで魯粛が帰って来たということは豫州方面の黄巾は撃退できたということじゃな」
「はい、あまりに動かないので夜襲で二千ほど討つと散り散りになって去って行きましたね。南陽が大変なことになっているのはわかっていたので追撃はしませんでした」
うむ、本来なら追撃したいところであったが南陽がギリギリであったからナイス判断じゃ。
「ただ、敵の大将っぽい趙弘という者は討ち取りましたから戦果としては上々かと」
趙弘?知らんのぉ……まぁ黄巾で知っておる武将なんぞあまり多くはないから仕方ないかの。
「ふむ、まとめる者を討てたのは大きいの。早速朝廷に送って褒美という名の慰謝料を頂くとするか」
「既に手配済みです」
「うむ、さすが魯粛じゃ。涼州方面はどうなっておる」
「涼州方面は寡兵ですので膠着状態のままでしたので援軍として甘寧さんに五千を向かわせています」
ふむ、これでこちらの数が多くなり、指揮は紀霊……うむ、問題なかろう。
「ただ……一つ気になることが」
「なんじゃ?」
「涼州の黄巾賊の大将っぽい者が孫仲という方だそうで……」
……孫?
部屋におるほとんどの視線が孫権に向くのは仕方ないことじゃな。
「ち、違いますよ?!我ら孫家とは別の家です!……多分……急いで確認します」
慌てて部屋を出ていこうとした孫権を魯粛が止める。
「まぁ私も本気で疑っているわけではないのですが念のための確認程度のことですから慌てない……ああ、ご自身が動かずに調べてくださいね。貴女はもう権力者なのですから」
「は、はいっ!」
どうも魯粛と孫権の上下関係がハッキリしたのぉ……元々魯粛より上なんぞ吾以外……吾すらも怪しい状態じゃから当然といえば当然じゃの。
「もう、孫権さんは慌てん坊なんですから〜」
「……七乃がこれから孫権の教育をしていくんじゃぞ?」
「大丈夫ですよー。任せて下さい」
……吾が任せることを決めたんじゃが……なぜじゃろう、泥船にしか見えぬ。
いや、七乃も有能なんじゃ。大丈夫じゃ……大丈夫なはずじゃ……大丈夫じゃよな?……ま、まぁ侍女じゃから吾と共にいる間に確認して都度修正すればいいじゃろ。
「文聘達討伐軍の方はどうじゃ?まだ潁川か?」
「それが相対していた黄巾が忽然といなくなったそうです。慎重に潁川を周って情報を集めているようですがなかなか行方が掴めないようです」
む、また面倒なことをしてくれたものじゃ。
野戦はもとより籠城でも相手の所在がわかっておるから良いが、潜られると面倒じゃ。
そのまま解散、本隊と合流などなら良いがゲリラ戦の前段階であったなら……あ、別に良いのか。波才は軍の補給隊は襲うじゃろうが、商隊や民衆を襲わん。
吾らの補給隊は商会を通して行うことができるから補給が途絶える心配はないということじゃ。つまり波才が商会を襲わぬなら安全な補給が行えると同義ではないか。
これで商会を襲えば波才の信用は地に落ち、狩るのも時間の問題じゃからな。
……ああ、もしや波才が豪族や民衆の取り込みを行っていたのはゲリラ戦の前準備じゃったのか?!もしそうであるならばなかなか侮れぬ人物じゃの。
「では潁川の鎮圧には官軍に行ってもらい、討伐軍は北上して陳留に入り補給するように伝えよ。華琳……曹操には吾から書状を送ろう」
「御意」
陳留がどのような状態かは情報がないので分からぬが、黄巾賊に悩まされておるのは変わらんじゃろう。
ついでじゃから恩を売っておくとするかの。華琳ちゃんなら踏み倒されることもないので安心じゃな。
……あ、そういえば討伐軍には関羽がおったな……大丈夫じゃろうか?