第五十一話
<孫権>
毎日死ぬほど忙しいというものはこういうことかと実体験させられている。
お嬢様の本来の姿を知ってからというもの、以前の仕事が雑用だったのだと思い知らされる。
雑用も仕事には違いないが、より大事な仕事を任されるようになった。
例えば難民の移住する街の設置……いきなり街ってどういうことよ。普通は村からでしょ。
例えば暴れ川の治水の計画書(ただし五十キロ)……施す区域が広すぎる。難民の救済策とは聞いているけど規模が大き過ぎて何から手を付けたらいいのかわからない。
例えば姉様達、派遣軍の兵站管理……身内にこんな仕事を任せて良いのかしら、と思ったものの結局姉様達の上司である李厳さんとのやり取りなので問題ないことに気づいた。
李厳さんから客観的な姉様達の評価を聞くことができた。
姉様の戦闘能力と戦機を見る才能は飛び抜けていて遊撃部隊を率いさせるには最高の人材と褒められたのは嬉しいんだけど……上司にするのはごめんだ、とも付け加えられていた。
……姉様を上司……お嬢様が姉様だったら………………今より楽だけど穴だらけな気がするわね。
その穴を冥琳が埋めるんでしょうけど、今までの経験で言えるのは一人でできることなど限られているということね。
冥琳と同等かそれ以上だとだと思う魯粛さんですら一人で処理できる仕事量は限られている。
そして、袁家の人材を使っても『これ』なのよ?……母様はいったいどうやって揚州を切り盛りしていたの?
「どうじゃ、仕事には慣れたかや?」
誰よ、今は忙し——
「いい顔になってきたのぉ。それこそ上に立つ者の顔じゃ」
「……これはお嬢様、気付かず失礼しました」
「おお、取り乱さぬあたり以前よりパワーアッ……一回り大きくなったの!」
ええ、おかげさまで多少のことなら動じないぐらいの耐性はできました。
「更に上に行くためには一歩一歩が大事じゃぞ」
……上……ねぇ。
少し前までは姉様を応援してたのに、お嬢様の手を借りて私の方が近い位置にいつの間にかいて……そして……高い壁が見える。
資金なし、人材なし、人脈な……あ、それは目の前に……でも……
「ん?どうしたのじゃ?」
……猫の皮を被っているとわかっていてもお嬢様を……まだまだ幼さが残る笑顔を浮かべるこの子を利用しようと思えるほどの領域に私はまだ至っていない。
そこまで至ることが大事なのかどうかはわからない。いや、必要なことはわかっているわ。
でも……ハァ、紀霊さんの洗脳教育のせいなのかしら。
「それとも私が甘いだけなのかしらね」
「む、甘いのかや?舐めても良いか?」
「駄目です」
「……残念じゃ」
常人が聞けば冗談としか思えない会話だけど……冗談ではなくて本気なのよね。
こんなことで本気で肩を落とさないでほしい。
蜂蜜より上手いじゃろうか……なんて未練がましく言っても舐めさせないわよ……というか、そもそも甘いわけないでしょ!
「それで何か私に御用でしょうか?」
「む、用がないと話し掛けてはいかんのか?」
そういうわけではないけど……見てわかる通り忙しいのよ。
「まぁ、用はあるんじゃがな。おぬしも偉くなったのじゃから専属の部下を付けてやろうと思っての」
「私に部下……ですか」
「うむ、吾の事情を知らぬ者では何かと不便じゃから申し訳ないがこちらから付けさせてもらうことになるのじゃ。本当は自分で選びたかろうが許してたも」
事情はわかる。
お嬢様が演技をしていたのも相手を油断させるためだと聞いた。私もその演技で騙され、油断していたのは間違いないから効果は立証されているため、止めるようになんて言えない。となると自然と拒否できるはずもない。
「配慮ありがとうございます」
「では早速紹介するのじゃ。入ってまいれ」
「失礼します」
「この者は韓胤じゃ。これからおぬしを補佐してくれるぞ。情報通でもあるから知りたいことがあったらこやつに聞くと良いぞ」
(まぁ韓胤が影じゃから他の影と情報共有しておるだけじゃがな。それにしても影達は袁術の配下が多いのぉ)
「よろしくお願いします」
「こちらこそよろしくお願いします」
地方豪族達が動き出したことによって随分と戦況は変わった。
各地の治安が良くなってきたようで情報網が復活、そしてその情報更新作業に追われておる。
一番大事なのは物価情報じゃ。
商会の稼ぎを拡大を計るのももちろんじゃが物価、特に食料の値上がりは深刻な問題じゃから調整をするようにしておる。
それでも各地で軍が編成されたせいで物価は軒並み上昇中じゃから困ったものじゃ。
食糧不足を根本的に解決する方法はない。
その場しのぎか口を減らすか……黄巾の乱によって口減らしをしているように見えるがそもそも農業の働き手を殺して食料生産を減らしているも同義じゃから悪化はすれど好転はせん。
つまりこれから起こる群雄割拠は権力争いももちろんなのじゃが食料争奪戦と口減らしでもあるということじゃな。
「しかし、波才は強いのぉ」
豫州で朱儁ばあちゃんと皇甫嵩爺ちゃんのコンビと互角に戦っておるそうじゃ。
そもそも波才の軍を捕捉するのも難しいようじゃ。見事なゲリラ戦よ。
ちなみに荊州で暴れておった馬元義はこの前討たれたぞ。
こちらは討伐命令が出ると早々に大軍を投入して虱潰しにして蹂躙したのじゃ。
おかげで少し食料の価格が下がったが損害もまた大きいので回復にはまだ時間が掛かるじゃろ。
それに馬元義が討たれたとはいえ、散発的に黄巾賊が湧くようで苦労しておる……まぁ実体は黄巾賊というより漢民族と認められておらん異民族のようじゃがな。
中華は広すぎるゆえに漢民族と認められておらん民族が結構おるからそれらが黄巾を名乗って好き勝手しておるところが多いようじゃ。
まぁさすがに司隷や南陽、長安などの主だった都市には少ないが、少し離れれば結構おるぞ。
「朱儁将軍から支援の要請が来ましたがどうしますか?」
食料支援は難しいのぉ……無くはないが、あまり多く出すと余裕が無くなってしまう。
しかし、孫堅の元上司、つまり吾とも繋がりがある者とも言えるし……食料も少し提供するがメインは武具で我慢してもらおう。
「後、ついでじゃから波才取り込みも試してみるかの」
「それは少々問題があるかと……さすがに黄巾の将を迎え入れるとなれば中央からなんと言われるか」
「名前変えれば大丈夫じゃろ。それに波才は黄巾であっても民に無体なことをしたわけではないし、何より黄巾の大本を叩けば文句もないじゃろ」
まぁ多少活躍し過ぎた分、中央の説得には苦労するじゃろうが……ふむ、朱儁ばあちゃんや皇甫嵩爺ちゃんには別の地域を鎮圧してもらって波才は話し合いで決着付けるようにするとしよう。
まだまだ黄巾はおるのじゃしな。