第五十六話
さて、どうしたものか……まさか周泰とこのような形で出会うとは思いもせなんだ。
引き込むか?しかし……今の彼女は幸せそうじゃ。無理して血で血を洗うような世界に巻き込まんでもいいような気がする。
力ある者は戦わねばならぬ、などという修羅道を強制的に歩ませるようなことはしたくないしのぉ。
しかし選択肢を与える程度ならば……などなど思いながら——
「実は猫が水を飲む時は舌で掬って飲んでいるのではなく、水を引っ張って飲んでおるんじゃ」
「引っ張る?」
「水面に手を置き、思いっきり持ち上げると水柱が立つじゃろ?その原理で水を飲んでおるじゃよ」
「おおー、そうだったんですか!」
「それと猫舌とよく言うが、動物は食べ物を加熱せんから慣れておらぬゆえ大体猫舌じゃな」
「なるほど、だから飼っている動物は熱い物も平気なのですね」
「うむ、正解じゃ。褒美としておやつとして用意した猫型焼き菓子と蜂蜜を受け取るが良い」
「はうぁ?!お猫様が可愛すぎますぅ〜……と、とても食べられません!」
楽しく猫談義をしておる。
それにしても周泰は聞き上手じゃな。ついつい話してしまうのじゃ。
さすが孫呉一の癒し系じゃ……孫尚香?小喬大喬?知らん名じゃな……と言うかあやつらは癒やし要素ないじゃろ……ん?何処からか「おまゆう!」という声が聞こえたような?
「それにしても孫権は猫耳ごときにいつまで恥ずかしがっておるのじゃ」
「最近色々と捨ててきたけど最低限の羞恥心まで捨てた覚えはありません」
本当か?あのデスマーチ中に随分乙女的な何かと一緒に羞恥心も随分捨てておったような気がするが。
「捨てたということは拾えるということです」
それでも拾えんかったものもあったと最初に自白しておるあたり不憫じゃな。
「誰のせいで……」
「立ち入り禁止の部屋に入った己を呪うがいい……それとも始末されたかったのかや?」
「……」
吾が本当の意味で太守であることは吾の性別に次ぐ極秘事項じゃ。それを決まりを破った上で知ってしまったのじゃから普通は消されても仕方ないことじゃぞ。
「それはともかく、孫権よ。周泰のこと、どう思う」
「真面目で可愛い人柄、本人が隠そうとしているのかはわからないけど武人としての身のこなし、おそらく甘寧に次ぐ人材ね」
「孫家に是非欲しい人材じゃな」
「否定はしないわ」
そうなんじゃよなぁ、いくら吾が周泰の平和な人生を歩んでほしいと願っても孫権がここにおる。
吾が引き入れなければ孫権が、もし孫権も吾に同調したところで素直で実直な周泰では孫家や他の豪族達に引き入れられる可能性が高い。
ハァ、こういうのは甘さだとわかっておるんじゃがのぉ。このように生き生きとしておる姿を壊すのはどうも気が引けるのじゃ。
だからこそ李典には開発者、于禁にはデザイナーとしての仕事以外には事務作業程度しかさせておらんのじゃ。
憂鬱じゃのぉ……まぁ民を戦場に送り込んでおる以上偏見なのはわかっておるがな。
孫権に気づかれぬようにこっそりハンドサインで影に指示を出す。これでそう時を経たず魯粛が来るじゃろう。
「魯粛様をお呼びしたのですか」
いきなりバレてもうた。
「な、なんのことじゃ?」
「お嬢様がこのような人材を見逃すわけないでしょう。となれば説得するのに適した人を……この場合言葉巧みな魯粛様が最適かと思って」
「……その通りなんじゃが、これだけは言っておくぞ。吾も有能な人材を必要とはしておるが本人の意志を踏みにじってまで手に入れるつもりはない」
「そんなこと知ってるわ。じゃなかったら紀霊さんや魯粛様……それに客将とはいえ関羽や甘寧がついてくるわけないもの」
……驚愕の事実、孫権が割りと吾を高く買っておったようじゃ。
「てっきり書類地獄のことで怨まれているとばかり思っておったぞ」
「……母様がいなくなって私達を受け入れたのは劉表から利権を得るためだけではないでしょう……母様から真名を預けられるぐらいなんだから」
「な、なぜそれを知っておるんじゃ!」
「やっぱり……寝言で母様の真名を呼んでたわよ」(それと何回も謝ってたのよ)
何たる失態、とはいえ寝言ばかりはどうしようもない……寝言で情報漏えいとは……恥ずかしすぎる。
「ここまで知られれば仕方ないのぉ。まぁその通り、孫堅とは利害関係以外でも仲良くしてもらったものじゃ。その子等を受け入れるのに否があろうはずがない。何より孫堅の遺言じゃからの……もっとも孫堅は吾が普通に仕事をしておることを知らぬままじゃったが……」
「いい話です!感動しました!」
「そうじゃろうか?吾としては後悔がいくつか…………なんで周泰も聞いておるんじゃ」
「す、すみません。私は耳が良くて聞いてしまいました!」
涙目で謝られたから許すが……まぁ、こんなところで話す内容ではなかったな。
猫猫パワーで緩んでしまったかの。しかし今の話の流れで吾が真っ当に仕事をしておることがバレたかも知れぬ……周泰が言いふらす性格ではないが——
「姓は周、名は泰、字は幼平!」
うむ?改めて自己紹介か?しかしなぜじゃ?
それにしても……字の幼平とは親の悪意を感じるのぉ……幼く平たい……名は体を現すとも言うがまさか……まさかのぉ。
「私は貴女に仕えさせてください!」
…………
………
……
…
「えっ?」
「貴女のような年齢で孤児を引き取るなんて素晴らしい行いです。是非私もお手伝いさせてください!」
なんか若干勘違いしておるような気がするのぉ……いや、概ね間違ってはおらんがな。
確かに子供にしか見えぬ吾が明らかに年上の孫権を養っておると聞くと徳の高い人物に聞こえるのぉ……まぁ孫家を受け入れたことで随分名声が上がったのも事実じゃな。
しかし、まさか勧誘する予定が逆に志願してくるとは思わなんだぞ……これも吾の日頃が良いおかげかのぉ……といつもならボケて笑うところじゃが……なんかキラキラした周泰の目を見ると……こう……なんというか……自分の汚れを実感してしまうのじゃあぁ。
「……私もあんな時があったわね」
いや、吾から言わせれば今の孫権もそれほど変わっておらんぞ。
その程度で汚れたと思うなんぞ百年早いわ!
「う、うむ、では契約内容を……」
「一ヶ月に三度……いえ、二度ほど猫猫喫茶に行かせていただければ後は自力でなんとかします!」
「いや、どんなブラック企業じゃ」
「ぶらっくきぎょう?」
「忘れてたも」
ついツッコんでしもうたぞ……にしてもさすがにそれはないじゃろ。
「……ふふっ、大陸一の富豪と揶揄されるお嬢様に……くくっ」
いや、気持ちはわかるが孫権は笑いすぎじゃから。
「心配せんでも吾はそれほど貧しくはないのじゃ。ほれ、服を見ればわかるじゃろ」
「しかし私から申し出たからには節度を持って応えるべきだと思うのです」
いやいや、猫猫喫茶に月二回が節度ある契約だとはとても思えんからの。
まぁ吾を袁術と知らぬからこのようなことを言っておるのであって知れば改めて契約内容を詰めるとするか。
「うむ、ではとりあえずよろしく頼むぞ」
「はい!よろしくお願いしますです!」
周泰が仲間に入ったのじゃ。
「あらあら、どうやら私の出番はなかったようですね」
「「い、いつの間に来ていたの(じゃ)?!」」
どこからとも無く魯粛が登場。
「ここに入ろうとした時からですよ」
ほぼ最初からおったんかい!
「お嬢様の猫耳姿を見逃すなんてありえませんわ……それにしても……可愛らしい方を迎えましたね」
これ、手をワキワキするでない。周泰が怯えておるではないか……こやつは華琳ちゃんを翻弄した実績があるからのぉ……ほどほどにするんじゃぞ?