第七十話
巨大な砦という人工的な障害がそびえ立ち、周りには木の柵、水堀に橋が掛けられている。
その砦には自己主張するかのように黄色い布が蠢いている。数は十万とも二十万とも見れる大軍勢だ。
それを四方から包囲するのは袁術軍四万、曹操軍(劉備義勇軍含む)二万二千、袁紹軍五万、公孫賛軍三千二百、皇甫嵩軍五万、朱儁軍五万である。(ちなみに兵士輸送隊込み)
そのうち曹操軍、公孫賛軍が数が少ないため、烏合の衆になる可能性を秘めながらも袁術軍と合同で行動する。
断じて曹操が関羽の尻を追いかけて合流したのではない。公孫賛こと普通の人は軍の質はともかくとして数が少ない上に兵站が脆弱であるため一番遠方から来ているのに一番兵站が豊富で若干の縁がある袁術軍にお世話になることとなった。
袁術軍も一番兵站が長いはずの自分達が一番物資があるという力の差をナチュラルに見せつけることによって名声を得る事ができるので歓迎している。
もっとも普通軍は騎射がメインで矢玉の消費が加速したことで悩みの種となるのは当然の末路である。
この矢玉補充のために近隣の街や村に注文が殺到してかなりの好景気となっているのは何の皮肉なのか、そして山の木が物凄いスピードで伐採され、山が少しずつ禿げていくその様は物悲しいが金の魅力の前には何の効力もなかった。
後にそのことを知った袁術は商会を通して植林事業に乗り出す……が周辺の民が無断で切り倒したりして大変なことになるが今は関係ないので省略する。
今まで行ってきた戦場が遊戯と言えるほどの決戦に向けて作戦会議が開かれていた。
「お〜ほっほっほっほ、私に掛かればあのような下賤な者達など粉砕してあげますわ」
「はいはい、わかったから大人しくしてなさい。会議が進まないでしょ……それにしても関羽、今日も綺麗で凛々しいわね」
「……曹操殿、会議が進みませんよ」
これはこの三人が揃うとだいたい行われる最近の恒例行事となっている。
関羽の隣には文聘がいるのだが我関せず、というより曹操が関羽にラブコールを送りながらも文聘のこともチラチラと盗み見ていることを察してあまりノーマルな彼女はあまり関わり合いになりたくないのだ。
人材収集家である曹操からすると隙のない、先読みをするような部隊運用する文聘は関羽とは違った輝きに惹かれているのだ。
「烏合の衆とてあの数はなかなかに骨が折れる。先に来ておった文聘殿や曹操殿が討伐した数は七万を超えるというに……先は暗いのぉ」
朱儁の最後の言葉はこの戦いの行く末ではなく、漢王朝の行く末のことを言っているのだ。
これだけの大規模な民衆が蜂起したとなると国の将来は短いというのはここにいる人間にはわかっていた。
そして皆……それこそ脳天気そうな袁紹ですら朱儁の言葉の裏を理解していた。
「いや、私達が力を合わせればあんなやつら倒せるさ!」
……訂正、普通の人だけは理解してなかった。そして空気も読んでなかった。
「……」ポンッ
「……」ポンッ
「……」ポンッ
「……」ポンッ
「……」ポンッ
「な、なんでだよ。なんで皆そんな目で見ながら肩叩くんだよ?!私変なこと言ってないよな?!」
政治家としては先が読めないのはどうかと思う。しかし、何処か純粋な公孫賛に癒やされた一同であった。
「公孫賛も少ない軍でよく頑張ってくれた。白馬義従でなくてもその存在はありがたいぞ」
普通で地味な彼女は神出鬼没に黄巾賊を襲い、反撃を受ける前に撤退するという一撃離脱を繰り返して少数で地震を上回る数の黄巾賊達を撹乱して士気を低下させていた。
命を賭けた戦いでまともに戦うことも許されないというのは兵士ではなく、賊でしかない黄巾賊には耐え難い屈辱とともに戦いの厳しさを知ることになった。
「白蓮さんは相変わらず地味ですわね。もっと派手に!美しく!優雅に戦って見せないな」
「いや、うちの数でそんな戦い方したらあっという間に終わるからな」
「その通りよ。普通……公孫賛は役目を立派に果たしているわ」
「おい、曹操。褒めてくれるのは嬉しいが今私を普通って言ったよな?言ったよな?」
ちょっとすればまた騒ぎ出す。
皇甫嵩と朱儁は自分達が老いたのだと、時代が変わりつつあると実感した。……こんな実感の仕方でいいのかという疑問はおいておく。
「さて、本題だ。策を述べよ」
「火計」
「美しく華麗に前進」
「えっと……兵糧攻め?」
「私達が黄巾賊を引き釣り出して他の方々が砦を落とします」
「「ほう」」
総大将を務める皇甫嵩と補佐する朱儁という名将をして予想外な案があった。
曹操の火計、それは予想の範疇だ。
敵の数が多く、全てと戦うとなると無理がある。ならばどうするかということになれば火や水を使うというのは実行は困難だが選択としては当然のものと言えた。
袁紹は……論外。
公孫賛の兵糧攻めは篭もる相手には最初に思い浮かぶ、数だけは多い黄巾賊相手にはもっとも理に適った策だった。
しかし、文聘が示した策は敵の数を無視し、砦に引き篭もっている敵を見て引き釣り出すという。
「策はあるのか」
そう聞かれた文聘は微妙な表情を浮かべる。
「策……あれは策になるのでしょうか」
「どうでしょうね。ある意味力攻めとも言えるかと」
事情を知る関羽は苦笑いを浮かべるしかなかった。
それは袁家の……いや、袁術のあり方を示すようなものであったからだ。
「ほうほう、興味があるのぉ。是非聞かせてもらおうか」
「では、説明させていただきます————」
「では、文聘の策を重視しつつ曹操の策を採用する。決戦は明朝。各々方、気を引き締めて掛かられよ」
皇甫嵩がそう言って会議を終了させた。
「全く、美羽には呆れるわね。これが策というのかしら」
「こんなの策じゃありません!」
袁紹の下で働いていた荀彧、しかしその仕えていた理由が家の事情であり、自分の好みではない上に古参の名士達との派閥争いに嫌気が差し下野。
そして自身の目で君主と見定め、今は曹操の筆頭軍師として頭脳を働かせている。
文聘の提示した策は曹操に我が子房、王佐の才と言わしめたその才能をしても策と言えるものではなかったようだ。
「……というよりこれ、何処に隠してあったのかしらね」
目の前の投石器千台が並ぶ姿を見て不思議そうに首を傾げる曹操だった。
そう、文聘の策とは投石機による攻撃によって敵陣を破壊し、混乱させるものだったのだ。
超遠距離からの投石器の攻撃は柵など障害にならず、堀に落ちれば一発で埋まってしまうので陣地はズタボロになる。
そして玉は尽きる心配はないほど用意され、全てが撃ち終わる頃には戦争も終わっているだろう。
「それにしても……ここは暇になりそうね」
篭もれば投石器の餌食になり、出てくれば弓と弩の餌食になる。
こちらの黄巾賊は何もする前から詰んだ状態で曹操も自身が指揮を行ったとしても勝てる見込みはかなり低かった。
そして朱儁と袁紹が敵陣の出入り口を封鎖して火計を行い、残った安全な出口は皇甫嵩が迎え撃つという手はずになっている。
もっとも火計を仕掛けた場所から進入して砦を一気に攻め落とすという策で、手柄に近いのは表向き朱儁と袁紹だ。
しかし、袁術と魯粛が諜報員を張角達の身近に潜りこませているため、二人の手柄はそれほど存在しないだろう。