第七十一話
黄巾賊の一人が叫んだ。
「岩が降ってくる」
周りにいる仲間達は「はあ?」とその叫んだ奴の正気を疑う視線を向ける。
しかし、その叫んだ男は至って正常だった。
それを証明するかのように空から岩が降り、正気を疑っていた者達をひき肉にしてしまう。
盾や柵などの簡易な障害など物ともしない威力を示し、巨大な岩が空を飛ぶという不可思議な光景を目にした他の黄巾賊は我に返ると同時に動揺が走る。
だが、彼らにそれを落ち着かせるだけの猶予はなかった。
岩一つとっても贔屓目に見ても混乱している。そしてそれが複数、いや、十を超える岩が降ってきたらどうなるか。
大体は悲鳴や絶叫を上げて逃げ惑う。中には自分が行ってきた悪行への罰だと受け入れる者もいる。元凶が官軍であるとわかり部隊をまとめて打って出ようとする者、反対に避難誘導をする者。
対応がバラバラなのは所詮は寄せ集めだからなのか、それとも空飛ぶ岩のインパクトが強すぎたからなのか。
「放てぇ!」
混乱して気づいていなかっただろうが実は投石は止んでいた。止んでいてもなお混乱していたため官軍が……袁術重騎馬隊と公孫賛軍が近づいていることに気づく者は少なく、明るい時間だというのに不意打ちを喰らう形となった。
もっとも三千五百程度の矢の効果など黄巾賊の数からすれば誤差の範囲でしかない被害しか与えられないが、それでも微々たるものであっても効果はある。
一射で倒れたのは二千ほど、投石によってその周りから逃げたことにより密集してしまっていたためいつもより被害が大きくなった。
続けて三射ほど続けるとやっと黄巾賊が迎撃のために出撃した。
数は六千と精鋭揃いの袁術、公孫賛軍相手には少なすぎるが一方的に攻撃され続けるよりはいいという指揮官の判断だ。
しかし、相手が悪かった。
迎撃に出た黄巾賊は歩兵で、相手は重武装で遅くても重騎兵、速いものは二大名馬の産地である幽州の騎兵である。
そんな機動力メインである相手が正面から戦うはずもなく……と言いたいところだが、正面から迎え撃つ。
もっとも正面から迎え撃つが、接近戦をするとは言っていない。
「放てぇ!」
再び同じ掛け声が響く。
そして先ほどまで放っていた矢とは違い、曲線ではなく直線的に飛ぶ矢が黄巾賊を襲う。
本来なら袁術軍だけの武装である騎乗用弩だが、今回は公孫賛軍にも配備されている。しかも重騎兵と比べると人間も馬も軽装であるため袁術軍より多く配備されていたりする。
ちなみにこの騎乗用弩一組で通常の鉄製の剣と槍と盾がそれぞれ一つ手に入るぐらいの費用が掛かるのだが……そこはさすがの袁術の財政力。
黄巾賊も騎馬隊に散々とやられていたため対策として盾を用意していた。しかし、その盾は李典の魔改造弩の前には役割を果すことはなく、貫通してしまう。
それが袁術軍の重騎兵なら四射、公孫賛軍は六射用意されている、そしてその武装は三千五百全ての騎兵が装備しているとなると被害も相応で迎撃に出てきた黄巾賊はほぼ壊滅し、生き残った者は慌てて逃げ帰っていった。
そのタイミングを見計らったわけではないが太鼓の音が鳴り響く。後退の合図だ。
それに従い、袁術軍と公孫賛軍は後退を開始する。そしてある程度距離が離れるとまた投石器が岩を放り投げ始める。
ただし着弾点が前回の時よりも陣地の奥になっている。これは射程が伸びたわけではなく、先程の騎馬隊が攻撃している間に距離を詰めただけの話だ。
「……ちょっと予定と違わないかしら。これじゃ黄巾賊が出てこないわよ」
「投石器の威力がここまでとは……計算が狂いましたね」
黄巾賊の混乱っぷりに曹操がつぶやきに近くにいる文聘も誰とはなしにつぶやく。
計算ミスの要因はいくつかあるが、一番の要因は岩が空を飛ぶというのは農民からすれば天変地異に等しいということを組み込まれていなかった。
黄巾賊となった農民達は張角達のファンもいるが、割合的には食うに困った農民達が多い。ファンの黄巾賊はその志から悪いことをしているという思いはない。
それに比べて食うに困って黄巾賊になった農民達は我慢の限界で爆発しただけであって、ある程度落ち着くと自分達の行った所業、悪行に大小に違いはあるが罪悪感が燻っていた。
そして岩が降ってくるという天変地異が起こるとどうなるか……天罰が下った、と思っても仕方ないだろう。
「しかし、このまま押し込めば問題ありません」
「……そうなると私の手柄がないんだけど?」
「曹操様には一番美味しい最後の締めをお願い致します」
「つまり皇甫嵩将軍に勝つ見込みがあるということよね?」
作戦の内容からして現在の漢で一番精鋭であろう皇甫嵩軍が敵陣に一番乗りをする予定だ。
その一番乗りをした精鋭の皇甫嵩軍より早く黄巾賊の本陣までたどり着くというのはなかなかに至難と言えた。
「……六」
「七はないと乗れないわよ?」
計算の上では六割の確率でこちらに分があると思っていた文聘だが曹操はそれで納得出来ないようだ。
「……努力します」
「期待しているわ……もし出番がなかったら……三日後、部屋に来なさい」
体中に鳥肌が立ち、恐怖に駆り立てられ、必死に計算を始めた文聘とスキップでもしそうなほど上機嫌で帰っていく曹操。
今ある策のままでは不確定要素がいくつか重なればすぐに一番乗りは逃すだろうと優秀な頭脳から答えは出た。
しかし自分の身を守るためにはあまりにも賭けるには不安過ぎる。
「発射が終わった投石器をもっと前進させます。そして護衛部隊はもちろん、本隊も前進」
指示を出すと少し間を置き軍全体が前進を始める。
正直投石器前進させ過ぎるとリスクが伴うためあまり好まぬ文聘だが九十の安全を七十程度に引き下げて攻略速度を上昇させることにした。
もっとも七十というのは開戦前の話で、今だと八十は安全だと思えるからこその手だ。
決して私情だけで動いているわけではない。
「これはで私が目立たないではありませんの!顔良さん、文醜さん、どうにかしなさい!」
「あたいには無理かなー……でも、斗詩なら……あたいの斗詩ならきっとなんとかしてくれる!」
「ちょ、ちょっと姫も文ちゃんも無茶言わないでよー。それに火計だけでも十分目立ってますよ」
必死になだめようとする顔良だが二人の心には届かなかったようでブーイングという形で返って来た。
何か策を考えてくれるとしたら田豊と沮授の文官の二枚看板だが、この場には居ない。
二人はまだまだ不安定な冀州で基盤固めをしている。
なぜ留守番になったかというと、先行して曹操と袁術の軍がいるため、負けは無いと踏んで、黄巾の乱の後のことを見据えての行動だ。
それによって顔良の負担は増し増しなのだが、そこはスルーされた。
「何を言ってますの。火計を使っているのは朱儁将軍も同じですわ。同じことを二人でしていては目立たないでしょう!」
「これ以上何かをすることはできませんよ。出入り口は燃やして蓋をしてるんですから入ることも叶いませんし」
「そうだ!出入り口がないなら作ればいいんだ。たかが柵ぐらい簡単に壊せるぜ!」
「いいこと言いました!文醜さんの意見を採用しますわ!」
「えぇー……さすがに勝手に行動するのは問題が……」
「何を仰っているんですの。私は袁紹本初、四世三公の名門中の名門ですってよ。文句を言う人なんていませんわ!」
(袁術様のこと忘れてますよね?!)