第八十話
ドキッドキッドキッ……ああ、心臓が痛いのじゃ。
程昱や郭嘉は最初から離れることを確定しておったからいい……いや良くはないがまだいいのじゃ。
しかし、関羽は違う。
吾が最初に見つけて吾が育てた……育てた?……まぁともかく、関羽は客将という立場ではあったが孫権が来るまでは七乃に次いで一番身近におったから……仲間であると、親しく思っておったんじゃから——
「劉備殿をお支えするべくお暇を頂きたく」
——まぁ、無残に敗れたわけじゃな。
ショックじゃ、正直凹むわ〜。
「うむ、わかった。細かい話は帰った後に魯粛とするがよい」
「ありがとうございます」
ここで引き止めても意味は無い。
引き止めるのが礼儀、かもしれぬが吾にその気はない。
積み重ねた時間で築いた信頼を切ってまで他の者に仕えるというなら引き止めておくことに何の意味があるというのか。
決していじけているわけでも、意地になっているわけでもない。決してじゃ。
吾はいつも通りの表情を浮かべれておったじゃろうか。
「すぅ〜はぁ〜……」
関羽が離れていくのを確認して深く深呼吸をする。
落ち着け、吾。
今は感情を表に出すな。
今はいつもの袁術じゃ。美羽ではなかろう。
袁術はたまに良いことを言って基本は我が儘でニコニコ蜂蜜ウマー!
美羽は書類仕事と謀略と蜂蜜ウマー!じゃろう……最後が同じというのは気にするでないぞ。これぞ吾じゃからな。
ふぅ、少し落ち着いてきたか。
寂しいのぉ。ハァ、思っていたより関羽に入れ込んでおったようじゃな。
まだ明確な敵でない関羽が離れた程度でこれほど同様するとは……この分じゃと孫権が敵に回った時どうなるのじゃろう。
あまり親しくせん方がいいんじゃろうか?一応書類地獄を共に乗り越えた戦友なんじゃがのぉ。
……ハァ、鬱じゃ。蜂蜜で溺死しよう……いや冗談じゃがな。あ、ちなみに蜂蜜で溺死というのは割りと簡単じゃぞ。人が入れるぐらいの壺いっぱいに蜂蜜を入れて頭から落ちれば身動き取れずに死んでしまうのじゃ。なぜ知っているかというと実際に使用人がうっかり蜂蜜の壺に落ちて危うく死ぬところであったからじゃ。水より重い蜂蜜に落ちると大変なことになるから要注意じゃ。
「吾の秘密をバラしておったなら……」
いや、さすがに関羽にバラすには問題があった。
もしバラした結果が今と変わらなければ劉備達に吾の情報が漏れるということになる。
それに先任である呉懿、李厳、文聘……まぁ文聘は少し遅かったが……すら知らぬのに飛ばして関羽に知らせるのは原作キャラとはいえ不義理じゃろう。
こういう小さな不義理が積み重なって身を滅ぼすのは良くある話じゃ。
孫権は例外じゃぞ?あれはバラしたのではなくバレたのじゃから。
「考えても詮なきことか、既に時を逸した」
そもそも関羽が契約を更新して金銭だけで雇えておったことの方が不思議であったのじゃ。
最初は契約が終わればおらんなるかと思うておった。そう、つまり少し長かっただけで予定通りなのじゃ。……そういうことにしておくのじゃ。
「孫権は今頃南陽を出ておる頃か」
考えてみれば、七乃と紀霊と魯粛を信頼し過ぎておるのじゃろうか?
関羽が抜けることは裏切りとは思わん。思わんが……人とは難しいのぉ。
……あ、でも七乃が裏切る光景だけは見えぬな。紀霊や魯粛は愛想尽かせて離れることはあるかもと思うが七乃だけは死ぬ時も一緒に居てくれると思えるのじゃ。
南陽に帰ってまず行ったのは倉を開けることじゃ。
関羽との契約は文官ではなく武官であるため機密に触れる部分が少ないため、違約金が発生しない契約であったし、つまりほぼすぐに劉備に仕えることとなる。
何より劉備が関羽を必要としているのは『今』なのじゃから当然じゃろう。
そして、いくら引き抜かれるという形であるとしても送別の土産ぐらいは提供せねば名家の名折れということで劉備軍に他の軍の標準装備を一式と一ヶ月分の兵糧と輸送用の荷車なども手配しておる。
まぁ、吾は帰って来て早々に地獄へ直行したのじゃがな。
しかも張飛と趙雲はほとんどの兵士と共に南陽で物資を受け取りに残り、劉備と諸葛亮は一足先に劉表のじじいに挨拶に行くようで、それに関羽も付いて行く……つまり別れの挨拶もろくにできぬまま別れることになるようじゃ。
関羽よ……なんだか冷たくないかや?吾、それほど嫌われておったのか?
確かに劉備の幹部である張飛と趙雲は劉表のじじいと因縁があるため同行すると諍いの種となるかもしれぬから置いていくというのはわかるし、そうなると劉備達の護衛がおらんというのもわかるが……挨拶なしというのはどうなんじゃ。
それに張飛と趙雲が南陽で募兵を許して欲しいという届けも出されておるが……本来なら拒否するところじゃが張角(偽)達を討ち取った功績者じゃし許可するかの。
ただし場所は宛だけに限定し、無理な勧誘や色香を振りまいての勧誘など風紀が乱れる行いは禁止しておこう。ついでに監視もさせておくか。
まぁぶっちゃけ募兵はそれほどうまくいくとは思えんがな。宛は貧困層と呼ばれる層ですら田舎の土豪と変わらぬほどの財産を持っておる。
本来の貧困層は最近の戦争特需(特に矢の生産)によって潤っておるし、難民は雇用の対策として砦の建築、増築、修繕で宛にはおらん。
もし募兵に応える者がおるとすれば、黄巾討伐の立役者に感化されてか、趙雲の色気に負けてか、楽して稼ごうと考えたかぐらいの者しかおらんと思う。
念のため関羽による募兵は禁止にしておく。関羽の人気は魯粛と紀霊に次ぐから付いて行く者が多くおるじゃろう。
……しばらく関羽がおらんなったことは公表せん方が良いな。
さて、待望の書類地獄の友、盧植先生には使えそうな生徒や元生徒、知人などに勧誘のお手紙を洛陽にいた時から頼んでおった結果が今日報告書として届いた。
先生と呼ぶに相応しい活躍をしてくれたのじゃ。
なんと集まったのは三十人、しかも全員が有能で真面目な文官なのじゃから言うことなしじゃ……と言うか名簿を眺めておったらほとんどがモブなのに輝く名前が存在する。
まず目を引くのが荀攸公達じゃろう。
まさか荀攸がこちらに来るとは……もっとも吾も名前を知っておるだけで曹操配下の有能な軍師の一人というイメージしかないが、それだけでも期待できる。
そして次に注目すべきは楊彪、こちらはもっと知らぬがこの世界での経歴は有名じゃ。
吾ら袁家が四世三公と名が知れておるが楊家は四世大尉(三公の一つ)と名を広めておる家の出じゃ。
家が凄いから皆凄いとは言わぬがやはりこの時代、エリートはエリートらしく知識や能力がある……者もおる。
それに盧植先生の推薦じゃから期待は大じゃ。
(史実では楊彪の嫁は袁術の妹だったりする)
他にも士孫瑞なる者もおるが……正直昔ゲームで確かおった……ような?という程度の記憶しかない。
「能力はこれからじゃが程昱、郭嘉の穴を埋めてくれそうな人材……であったらいいなぁ」