第九十話
<孫権>
「姉様、何度も言いますが条件を満たしていない以上どうにもなりません」
「だから条件を教えなさいって言ってるでしょ!これじゃ袁術ちゃんと話してるのと変わらないじゃない!」
そういう約束なのだから変わらなくて当然なんですが……どうしよう。我が姉ながらすごく面倒だわ。
ああ、お嬢様の苦労が目に浮かぶ……のらりくらりと蜂蜜蜂蜜言ってそうだけど苦労はしたでしょうね。
そろそろ私の我慢の限界が近いのだけど……周瑜に視線だけで助けを求めてみる。
「……雪蓮、これ以上は無駄だ。蓮華様が話さぬのはそれ相応に理由があってのことだろう。それに条件を言わぬということはこれからも有効であるということだろう」
「そうなの?」
「はい。お嬢様も魯粛様もそのつもりでいます」
助け舟を出してくれるのは嬉しいけど、もう少し早く助けて欲しかったわ。
そう、機会はこれからも与えられ続ける……しかし——
「それに私は現段階で孫家は袁術様の下を離れるべきではないと思う」
「孫権様、どういうことでしょう」
周瑜はわかっているでしょう……わかっているわよね?試しているだけよね?
まさか本当にお嬢様に取り込まれたと思っているんじゃ……嫌なわけじゃないけど身内に疑われるのは心外よ。
「まずは文官の少なさね。県令でなんとか、太守となると人材が必要……周瑜は優秀だけどそれだけで補えるものではないわ。何より……今、孫家の兵士達が受けている給金以上の給金を用意できるの?忠が離れるとまでは言わないけどかなり不満を持つことになるわ。それを補うだけの魅力が今の孫家にあるの?示せるの?」
姉様達はどうもお嬢様から受けている恩恵を軽く見ているところがある。いや、おそらく感覚が麻痺してしまっているのだと思う。
お嬢様が軽く見せている凄さは金だけじゃない。表向き仕事をしないと言いながら本人が気づいていないようだがちゃんと仕事をしている……それを魯粛様や紀霊さん、張勲以外気づいていないようだけど。
雑談交じりに悩み事を聞き、解決する。ただそれだけのことで人は仕事を効率よく熟すことができる。
人間関係に関しても注視しているようで仲が悪い、相性が悪い者を離したり、あえて一緒にして競わせたりとなかなか腹黒……ゴホン、気を利かせているのよ。
それに比べて私達は……母様と親しかったからという理由で雇ってもらえて、高給をもらい、姉様達の経費とも言えない経費(酒代)をいくらか負担してくれたり、孫家が行う練兵に必要な物資を手配してくれたり、私のような新米を取り立ててくれたり……まぁこれは色々あったけど……他にも姉様達が起こした……起こした……起こした?……起こした?!
「そうよ!姉様!揚州であれだけ大きな問題を起こしておいて出世させろですって?!さすがにお嬢様を舐めすぎでしょ?!どれだけ——」
——頑張っているのか知らないくせに、という言葉をとっさに飲み込む。
ああ、以前の私なら何の迷いもなく、姉様の出世を応援していたのだろうと思う。
今の私ではとてもそこまで盲目にいられない。
と言うかあの時どれだけ私が恥ずかしかったか、そして、今はそれ以上の恥ずかしさでお嬢様達に顔向けできない。
それに心配もしたのよ。
お嬢様も魯粛様もその気なら私達をいつでも消すことができるんですから……そうやって消されていく人を何人も、何十人も見てきたから——ここで私が正さねば、孫家の未来はない。
「周瑜、孫家の孫権としてではなく、お嬢様に仕える孫権として言うわ」
姉様と周瑜の表情が変わった。
最初からその顔をしていればいいのに……結局のところお嬢様や魯粛様の寛大さに甘えてしまっているということなのね。無意識でしょうけど。
「周瑜、さすがにこれはないわ。姉様はこの通りの性格だから仕方ない……で済ませるのは問題があるけど、周瑜が止めないで誰が止めるの」
「……申し開きもありません」
「ちょっと!私の扱い悪すぎない!!」
いえ、これでも良すぎるぐらいですよ。
お嬢様もとっとと化けの皮……猫を被るのをやめてくれればもっと簡単なのに……もっと姉様達に見直されるはずなのに……お嬢様的にどうでもいいんでしょうけど。
「姉様……別にそのままでもいいです。しかし、それではいつまで経っても将軍になれても州牧や刺史どころか太守にすらなれませんよ」
……条件の内容を言っているわけではないので見逃してください、お嬢様。
それと将軍になれるとは言ったけど……たぶん無理ね。姉様の戦術は突撃が主体、お嬢様の好まない戦死者が多く出る方法なのだから。
「ふ〜ん、蓮華は随分偉くなったわね」
明らかに喧嘩を売っている言動。
まぁ、妹である私に偉そうに説教されてむかつくのもわかる。
わかるけど、必要なことだから退かない。
「ええ、姉様。気づいていないかもしれませんが本当に偉いんですよ。私は」
こうして私と姉様に溝ができた。
……孫権、マジ怖い。
孫策の説得を頼むだけのつもりがまさか兄弟喧嘩にまで発展するとは……そして日頃から厳しい人が怒ると更に怖いという発見もできた。誰じゃ日頃穏やかな人が怒ると怖いというた奴は。
そして喧嘩した相手である孫策は紀霊にキレイキレイされておる。
兵士達に八つ当たり的な訓練をしたせいで怪我人続出、それを聞きつけた紀霊がマジギレ、今頃どうなっているやら。
と言うか、本当に孫策の劣化が酷くないかや?原作じゃともっとまともじゃったような?……もしや吾が反面教師となっておったのか?だから、こんな事に?
……まぁもしそうだったらどうしようもないの。そもそも現状の吾も表向きはあまり褒められたことしておらんのじゃし。
「ところで孫権さん、ここに美味しい饅頭があるのじゃが……」
「……お嬢様から蜂蜜以外を勧められた?!」
おい、機嫌を取ろうとする吾の努力になんという仕打ちじゃ。
「大丈夫です。お嬢様の困っておろおろしている姿を見ていると落ち着きました」
「落ち着いたのはいいが……それはそれでなんか釈然とせんぞ」
今度は吾が不機嫌になりそうじゃぞ。
「そういえば涼州のお土産として買ってきた蜂蜜が——」
「なんじゃ?!何をすればいいのじゃ?!三回回ってわんと言えばいいのかや?!」
「誰もそこまで言ってません。というかそれはなんですか?」
む、そういえばこの三回回ってわんって元ネタは何なんじゃろう?