第十一話
走っていくうちはスルイを見送りっていると先生が話しかけてきた
先生は私の戦い方に興味があるらしいがテキトーに力の加わる方に力を加えてみたと答えるとそれ以上はツッコまなかった。子供が説明する理論なんてこの程度だろう。
などと思っていたら逃亡していたうちはスルイが他の先生に捕まって連れ戻されているのが確認できた。
下忍以下の私達が中忍以上の先生から逃げられるわけがない。
それにしては瞬歩……じゃなかった瞬身の術が夕顔より少し速いという程度なのが気になる。まさか夕顔は中忍レベルとでも言うのか?それとも教育担当だからこの程度ということなんだろうか?
この後も戦闘訓練を続けるのだが……私と戦う相手は最初から引き気味で相手にならなかった。
ここに来て自身の失敗を悟った。
よくよく考えて見れば影分身はあまり周りと積極的に接していなかった。そして夕顔も影分身とわかっているのであまり話しかけてこない。つまり私はぼっちだったのだ。
そしてここに至ってはうちは一族を圧倒するなんてことをすればどうなるか……ぼっち度が加速するのは至極当然と言えた。
まさか夕顔のぼっちを心配していたら私の方がぼっちになっていたとは、ワラエナイ。しかも夕顔は学校限定だが私から独り立ちしたせいか友達が結構いるようだし……ちょっと寂しいのは気のせいだ。
しかも私という邪魔者がいなくなったためか、夕顔の魅力に気づいたからなのかわからないが明らかに夕顔を狙っている男子もいる。
色恋沙汰にはちょっと早すぎないか?とも思ったがよく考えれば仮初の平和ではあるがまだ戦争が終結したわけではないこの時代、子孫繁栄に励むのは本能として正しいかもしれないと思い直した。
思い直したが、夕顔に言い寄ろうとしているのを認めるか認めないかは別問題だ。とりあえず校舎裏に呼び出して釘を差しておいた……これが更にぼっちを加速させたであろうことは想像に難くない。
「あ、また夕顔か」
空飛ぶ生徒が目に入ると誰が何をしているのかわかってしまう。
ただ、意味がわからないのだが忍者学校ではチャクラのコントロールは教えていない。
おそらく忍となれるかどうか篩(ふるい)にかけてから教えるのだろう。忍にならない人がチャクラを使えるようになるとどうなるのか、100%ではないもののかなりの確率で面倒事になることは容易に想像できる。つまりトラブル防止の一環か。
しかしエリート出身者は早い内からチャクラコントロールを身につけさせられるんだが……こう考えると忍者学校でエリート出身者と庶民出身者を一緒にするのは如何なものか、実際うちはスルイは夕顔や私にこそ負けているが他の生徒から頭一つ以上抜きん出ている。
そういえばうちは3人衆に次ぐ実力を持ちながらも私よりは若干マシだが浮き気味の2人組、日向の宗家と分家なのだが、この2人もチャクラコントロールが可能なのは訓練を見ればわかる。
そして何より素の実力では劣るこの2人だが、白眼を使えばまた別の話である。
白眼というのは瞳術の1つで、血継限界とも言われうちは一族の写輪眼に匹敵するとも言われている瞳術だ。
もっとも白眼は性能的には写輪眼に劣るのはわかっている。しかし写輪眼は覚醒するのに才覚が必要で覚醒するのが遅く、数も少ない。それに比べて白眼は日向ならほぼ全員が幼い頃から覚醒するので熟練度は日向が勝ると一長一短である。
それに噂では白眼の覚醒のしやすさは瞳を移植の際にも現れるらしく、移植しても拒絶反応どころか移植された者の瞳より馴染むという訳の分からない親和性を発揮するため、分家の者は瞳を奪われぬように術式が刻まれるらしい。
逆を言えば老衰直前ならその瞳を移植すれば……あ、老眼になった瞳じゃキツイか。
それはともかく、何が言いたいかというと……
「柔拳はえげつない」
この一言に尽きる。
彼らは既に白眼に覚醒しているし、それを最大限に活かす彼ら特有の武術、柔拳も使えるようだ。
実際他の生徒と戦う際に白眼を使っているし、チャクラを纏ってはいないが柔拳特有の掌底を使っていて、先生もそれが当たれば戦闘終了にした。
私が見抜けたのは白眼無しの彼らの実力であり、白眼込みとなると……おそらく負けるだろう。
彼らの使う柔拳と私との相性はあまり良くないという印象だ。
忍術を使って良いのなら遠距離攻撃で持久戦に持ち込めば負けないだろう。しかし喧嘩など殺してはいけないことが前提となると難しい。
近距離の戦いにおいて柔拳は触れるだけで攻撃力が十分であるため力みのない動作で予兆があまりにも少ない。力みがないということは攻撃に腰が入っていないということで、こちらの攻撃は避けられる可能性が高く、避けられたついでに腕などに触れられるとそれだけでダメージになる。
うん、日向には喧嘩を売らないようにしよう。
写輪眼は視線を合わせなければある程度対策ができるが……同じ里の者同士、うちは一族とも仲良くしたいんだが……こちらを死人のような瞳で見つめてくるスルイから察するにあまりいい未来は描けない。
ハァ、なんで初めての戦闘訓練でこんなことになったんだろう。組み合わせを決めた担当の先生にいつか仕返ししようと思う。
起爆札に書かれてある術式の解析はある程度成果をあげた。
威力も精度も悪いが機能自体は再現できたので自分に仕込み、影分身をしてみたのだが。
「まさか影分身の術の起動コストが上昇するとは思わなかったな」
新たにわかったこと、それは影分身の術の起動コストは本体の身体能力と本体が装備している武具の再現に使われるということだ。
今までそんなに重武装で影分身の術を行ったことがなかったから気づかなかったが普通に考えれば当然のことだよな。
チャクラを貯めている起爆札を再現するにはその貯めているチャクラの量+起爆札自体の再現にチャクラを消費する。
このことにより影分身を多用する私には貯蔵式の起爆札は重要性が低くなった。なら注入式の起爆札……といきたいところだが、こちらはこちらで問題がある。
注入式ということは影分身自体のチャクラを使用して起爆札を使うことになる。つまり影分身が自爆した後は還元されるチャクラはかなり減ることになるだろう。なぜなら影分身がダメージを受けて解除された場合還元される量が減るからだ。
「何か打開策を考えなくては使い勝手が悪すぎる」
チャクラ容量だけは恵まれているから余裕はあるが、無駄に使うチャクラはない。
手裏剣影分身の術で起爆札ごと影分身させればいいか?それなら手裏剣の影分身が消えるだけで済むからチャクラの消費量が少なくなるはずだ。
とりあえずはそれを完成として目指すかな。影分身のチャクラを消費するのは痛いが攻撃手段としてはかなり充実することになる。
攻撃力の向上するのはもちろんだが攻撃兼煙幕、山崩しなどにも使えるし罠にも使える。
……罠か、起爆札の術式を手裏剣に刻めば札無しで爆発させることができるかもしれない。起爆札がついた手裏剣や苦無は目立って仕方ないからな。
「さて、そろそろ出てきたらどうですか」
「さすがは月光の天才と言っておこう」
「……?人違いです」
月光家は我が家だけではないからおそらく別の人物と間違えているんだろう。まさか私が天才なわけ無いだろう。
天才と言うのは夕顔のような存在を言うのだ。
私は……凡才ではないようだが天才では間違ってもない。
しかし、人違いにしてもこの人は——
「おい、うちのスルイを叩きのめしといてその逃げ方はないんじゃないか」
どこからどう見てもうちは一族なんだよなぁ。
実力は——残念ながら私では測りきれない。それだけ技量に差があるのか、私が未熟なだけなのか。
「お礼参りってわけじゃないんだが……ちょっとうちはを舐められると困るからよぉ」
「それをお礼参りというんでしょう。そもそも10歳以上離れた人が介入するなんて恥ずかしくないんですか」
見立てでは相手の年齢は15、6歳ってところのはずだ。
体格では劣る分接近戦は避けた方が良いだろう。だからと言って忍術合戦をしたところで勝てるとはとても思えない。だが、私個人に過失があったわけではないのであやるのもおかしい……どうするべきか。
「正直微妙に思うんだが——悪いな」
げっ、瞳に模様?!ということはこの人、写輪眼を使えるのか!
そう思った瞬間には姿が消えていた。
ギリギリで後ろから明日音が聞こえたので何かを考えるようり頭部を守ると衝撃で吹き飛ぶ私。
今の蹴りだけでも体格や年齢の差以上の明らかな技量の違いを肌で感じることが出来た。
これは体術では勝てないか。決定打はなんとか防げそうだがジリ貧なのは間違いない。
しかし忍術は使うつもりはない。忍たるもの常に身体を鍛えるべし。
まさかこんなところで体術の練習ができるとは思いもしなかった。
「くっ」
キツイトレーニングになりそうだ。