第六百一話
[これは得難い経験だ]
共鳴によって描かれた心象風景が広がるが、それの多くはどす黒い赤で染められている。
染められていないのはだいたい4割と言ったところか、半分も汚されているとなると植物状態になっても不思議ではないと感じる。
[直接共鳴して正解だったな]
遠隔から行っていたなら加減できずに染められている部分を消し飛ばして本物の植物状態にしてしまった可能性が高い。
[しかし、これは思った以上に手間が掛かりそうだ]
感覚的には錐一つで壁画を掘るようなものだろうか。なお大きさに関しては広大、としか予測が立っていない。
おそらくハマーンやプルシリーズなど身近な相手なら弱いところや強いところが感覚的に理解できるので高圧洗浄機で洗い流すような荒々しいやり方でもできそうだが、カミーユ・ビダン、しかもまだ言葉も交わしたことがない相手となるとさすがに無理だろう。
[誰――]
声が聞こえてきた……あちらか。
少し進む……共鳴すれば互いが近くにいることが常なので進むというのも不思議なものだが、どうやらこの汚染された状態ではこのような違いもあるようだ。興味深い。
進んだ先にはほとんどがどす黒い赤……いっそ血と言ってもいいそれに染まっているカミーユ・ビダンが立っていた。
[なかなか悪趣味なコーディネートだな。気分はどうだ]
[言い訳ないだろ]
[染まっている箇所は固まって動けないようだが、口も喉も染まっているのに声が出るというのはやはり共鳴中の声は口や声帯に左右されないのか。しかし常の共鳴は口を動かして会話しているが、あれは通常時の名残に過ぎないわけだな。当然といえば当然だが、意識していなかったな]
[今話すことではないと思うぞ]
[おっと失礼、悪気はないのはわかってくれるだろう?]
思いがダイレクトに伝わる共鳴とは楽なものだ。特に親しくない者相手なら信用を勝ち取るのに時短になる。
昔からだが、今の私は特に時間が足りないからな。
[わかるからと言って納得ができるかどうかは別問題だ]
つくづく人間とは難しい生き物だ。
[さて、私がどういう目的でここに来たかは既にわかっているはずなので省略する]
[……確かにわかるんだけど、釈然としない]
[なら説明しよう。治療に来た。以上だ]
[簡潔過ぎないか?!]
ふむ、思った以上に正常な判断ができている。
[思った以上に精神汚染はないようで安心した]
[これでも結構無理しているから手短に頼む]
[となると植物状態を脱するようにするのはまだ先の方がいいか]
ヘタをするとこの汚染が肉体を操り、ファ・ユイリィに危害を加える可能性がある。まぁファ・ユイリィ以外に危害を加えることができる者などミソロギアにはいない、というよりも怪我をするのはカミーユ・ビダンの方だ。その怪我もすぐに治すので問題ない。
ああ、唯一被害に遭いそうなのはジュドー・アーシタ達か。だが、それもしばらくは会うことはないので気にしなくていい。
そしてファ・ユイリィと会わせないなら植物状態を脱したところで意味がない。
ここでもファ・ユイリィが介護するならともかく、意識がないなら治療中はカプセルの中だから負担もない。
[ああ、これ以上迷惑を掛けるわけにはいかないから体はこのままでいい。治療にどれぐらい掛かりそうなんだ]
[情勢次第なところもあるが――数年は掛かるだろう]
今回の治療はフォウやロザミアのそれよりも面倒だ。
フォウ達は直接脳を治療するので物理的に面倒ではあったが、その場に私がいなくとも触手や人形を使って治療できた。
しかし、カミーユ・ビダンの治療は精神科などというオールドなものではなくニュータイプ的に直接精神を治療するため私直々に向き合う必要がある。しかし私には治療ばかりに専念する時間は多く確保できない。
[だが、数年掛かろうと肉体は現状のまま維持するので寿命が短くなるなどの心配しなくていい。ついでにファ・ユイリィも若返らせておこう]
そうしてしまえば両親も既に他界し、親しい親戚もいないカミーユ・ビダンが孤独を感じることはないはずだ。
[そういう問題じゃないんだけど……治療を頼む]
そういうやいなや共鳴が途絶えた。